2019年09月03日
中国・アジア
主任研究員
武重 直人
香港で逃亡犯条例の改正に反対するデモの勢いが止まらない。それは数十万~200万人規模に拡大。中国への返還(1997年)以降は最大となり、期間も90日を超えた。デモ隊の一部が過激化する兆しもあり、流血の事態に発展した1989年の「天安門事件」が繰り返されるのではないかとの懸念が広がっている。
香港政府と市民の攻防自体は、今に始まったことではない。中国共産党の意向を汲む香港当局は、反政府勢力を取り締まる「国家安全条例」の導入(2003年)や、中国共産党を賛美する「愛国教育」の義務化(2012年)を試みてきた。これに対して市民は前者で50万人、後者で9万人のデモを敢行し、それらを断念させてきた。こうした中で、当局が次の一手として繰り出したのが犯罪者の身柄を中国に移せるようにする逃亡犯条例の改正だったのだ。
普通選挙がない香港、デモは数少ない意思表示の手段(2016年)
人々がこの政策に徹底抗戦する理由は主に二つある。一つは中国の司法制度に組み込まれることに対する恐怖だ。中国人ではなく香港人としての自覚が強い市民にとって、新条例の成立は高度な自治の下で保障されてきた自由や身の安全が脅かされることを意味する。これまで死守してきた独立が切り崩されかねない状況に、デモ参加者たちは「条例改正でデモ自体ができなくなる」「最後のデモかもしれない」と口々に訴えている。
もう一つの理由が民主的な選挙への渇望だ。今回のデモで市民が掲げる「5大要求」には「民主的選挙の実現」が含まれている。2014年に学生らが「雨傘運動」と呼ばれるデモを78日間にわたって展開したのも、「当局が普通選挙を実施する」という期待が裏切られたからだ。
結局、雨傘運動は失敗。政府トップの行政長官を選ぶ選挙では、親中派が主導する委員会が認めた人物でなければ候補になれない。市民の間には、さらに司法まで掌握されれば、自由な選挙実現への希望はもちろん、「一国二制度」まで失われてしまうという危機感がある。デモはそれらを守る数少ない意思表示の手段なのだ。
一方、中国共産党は激化するデモへの対処についてジレンマ(二律背反)を抱えている。デモを放置すれば、独立志向の強いチベットやウイグルを含む中国各地に同様な動きが飛び火し、党の威信が傷つく。しかし、デモを武力で鎮圧すれば、天安門事件後のように、諸外国からの人権批判とボイコットにより国際的に孤立しかねない。
中国は今後どう動くのだろうか。有識者の間では、党は必要になれば武力鎮圧を躊躇(ちゅうちょ)しないという見方が優勢のようだ。弾圧は国際社会からの批判を招くが、①天安門事件でも孤立は数年で解消した②中国の国際的地位は当時に比べて格段に上がっている③むしろ中国共産党の地位を揺るがす内政混乱の方が致命的な痛手になる―という見立てだ。これが正しいとすれば、過激化するデモが第2の天安門事件を引き起こす可能性は小さくない。
一方で、天安門事件当時とは国際情勢が変わっており、武力介入は難しいとの指摘もある。①米中貿易戦争で中国経済が失速する中、外資企業の香港脱出が生じるとさらなる痛手となる②「一国二制度」を完全に反故(ほご)することになり、台湾における独立志向が高まる③中国の信頼が傷ついて「一帯一路」推進に支障が生じれば、経済成長率が一層低下する―という見方だ。
今後の展開は政治日程にも左右される。直近では9月11~12日に香港で一帯一路サミットの開催が予定されている。デモを行う市民側とっては国際的な注目を集める絶好の機会となる。さらに10月1日は中華人民共和国の建国70周年の記念日にあたる。党と政府にとっては如何なる混乱も排除しなければならない重要な節目だ。これらを考えると、ヤマ場は間もなくやって来る可能性が高い。
中国が武力鎮圧に踏み切れば、冷戦終結後に国際社会が築き上げてきた秩序は崩壊しかねない。30年前と比べると、中国との結びつきが格段に強まった日本にも大きな打撃となる。第2の天安門事件に発展することがないよう、国際社会は党と市民の双方に自制を求めていく必要があるだろう。
(出所)筆者
武重 直人